生きること

「僕の夢は総理大臣になることです」

 日直が毎朝行う一分間スピーチ。事前にお題が出されてそれについて1分間自由に話すことになっている。このときのテーマは「将来の夢」だった。
「総理大臣になって、日本を僕の手で動かしたいんです。そうして、みんなが幸せな素敵な国を作れたらいいと思います」
 なんてことのない朝だった。クラスのみんなが席の近い者同士で楽しそうに話している。しかし、スピーチが始まると途端に静かになり、視線が一か所に集まった。お決まりの拍手もいつもより大きかったような気がする。もう10年以上も前の話だ。

     ◆

 幼いころはみんなに夢があった。プロ野球選手、お花屋さん、電車の運転手、お嫁さん。自分が好きなものやあこがれるものを、素直に夢として話していた。
 どうやったらなれるかなんてわからない。でも、なれたらいいな、絶対なるんだ。決して嘘なんかじゃなく、本気でなろうと思っていた。大人になって楽しそうに仕事をしている自分を想像する。そうやって誰もが幼少期を過ごしてきた。
 僕はまだまだ幼い。たった20年生きてきただけだ。その幼い僕でさえ、幼いころの夢とそのときの輝いた瞳は、もう失ってしまった。僕だけじゃなく、これくらいの歳になるとみんなそうじゃないのかと思う。
 幼いころに語っていた夢。歳を重ねることで見えなかったものが徐々に見えるようになってくる。例えば、その職に就くために必要な能力、働いて得られる賃金。頭の中で楽しそうにしていたはずの自分がいつの間にか笑わなくなっている。私の学力じゃ無理だ、こんな給料だと満足な生活はできない。理由は様々だが、社会の黒い部分が見えてしまい、夢は夢として葬り去られる。早ければ中学校を卒業時、遅くとも大学院修了時には、身の丈に合った選択肢を選び、ただ生き永らえる道を歩むことになる。

     ◆

 中学校のとき、勉強に自信のあった僕のプライドはずたずたにされた。一学年の人数がそれまでの4倍に増え、秀才の数はそれ以上に増えた。中間テストで6位、期末テストで9位、実力テストで15位。小学校では天才とちやほやされた僕も、クラスにいるそこそこできるヤツの一人になってしまった。完全に井の中の蛙だった。
 友達にテストで毎回3位以内にいるやつがいた。勉強だけじゃない、スポーツもできる。陸上部に所属していて全国大会の表彰台に上るようなやつ。本当に何でもできるタイプだった。世の中にはかなわないやつもいる。そこには「総理大臣になる」とクラスの前で発表した、自信に満ち溢れた姿はない。僕の牙はいつの間にか折れてしまっていた。

「中学の時のあの子、東京大学に受かったみたいよ」
 夏の帰省で母に駅まで迎えに来てもらったときのことだった。
「えっ、あいつまだ浪人してたの?」
 僕は今年で大学3年生。ストレートで今の大学に入ったので、彼とは2年差ということになる。彼は中学3年生の時に関東へ引っ越してそれきり。久しぶりに彼のことを聞いた。
「どうしても東大に行きたかったみたいね」
 母からすると何気ない会話だったのだと思う。だが、僕の中では何かもやもやとしたものが広がっていた。
 僕は中学2年生の時、落ちこぼれかけていた。成績は30位を下回るようになって、部活にもほとんど顔を出さない。2年生の夏休みには両親と大喧嘩もした。それくらいぼろぼろになっていた。
 状況は改善しないまま春を迎え、いよいよ受験生になる。彼が転校するという噂を耳にしたのはちょうどそのころだった。
「俺、東大行って外交官になるからな! お前も東大、来いよ!」
 3年生の終業式、そう言い残して彼は地元を旅立った。
 この言葉を受けて頑張った、――わけではなかった。将来やりたいことも特にないまま、とりあえず勉強をそれなりに頑張って、今ある選択肢の中から最善のものを選ぶ。そうして今に至る。ただ、死なないでいる、だけだった。
 彼とは中学校以来話していない。だが、楽しそうに大学に通う彼の姿、中学時代と同じように、いつも一生懸命な彼の姿が簡単に想像できた。

     ◆

 いろんな人生がある。彼のように自分の信念を曲げずに突き進む人生もあれば、手元にある幸せを守る人生もある。仕事をしてお金を稼ぎ、大事な家族を養う人生もある。どれがいいとか、そういう話じゃない。けれど、やっぱり、彼のような人生は幸せなんだろうなと思ってしまう。
 少なくとも、僕の人生では面白くないと思った。何となく職について、一生を終える。いいや、違う。ただ生き延びるだけじゃつまらない。せっかくの命、自分が生きた証を残したい。流れてゆく街灯を眺めながら、強く思った。