お年玉と彼氏からのプレゼント

年も実家に帰ると、無事にお年玉をもらうことができたが、
最近の僕のお正月にまつわる関心ごとは、いつまでお年玉がもらえるか、である。
世間の多数派はどうやら、大学卒業まではギリセーフ、らしい。
甘えられるうちに甘えてしまえというのがモットーというクソ人間なので、
ぎりぎりまでは甘えて、就職したら沢山親孝行しようと思ってますが。

ころで、お年玉の少し前にクリスマスというイベントがあった。
恋人たちがプレゼントを渡しあうあのイベントである。
クリスマスに何を上げるか僕も悩んだので、あのyahoo知恵袋からヒントを得ようとしたところ、
ふと、「クリスマスプレゼントに現金ってどうですか」という質問が目に入った。
どうやら、自分が選ぶよりも彼女が自分でほしいものを買うほうが合理的だ、というらしい。
「いやいや、だめでしょ(笑)」
と鼻で笑った僕ですが、他にどれくらいアホがいるのかと「クリスマス 現金」で検索してみた。
すると815件もヒットしてしまった。
yahoo知恵袋で815人もの、下手したら振られるかもしれなかった人々が救われたわけだ。
でも、お年玉はプレゼントでもらうよりも、現金でもらうほうが断然いい。
ではどうして、クリスマスプレゼントは物で、お年玉は現金なのだろう。

れはお年玉とクリスマスプレゼントという2つの風習では、
その受け手が求めるものが異なるからである。
以下が2つの風習に関して、求められるものとその評価基準をまとめたものだ。

まずこれらの風習の目的について整理すると、
お年玉は「お金をもらうこと」が目的であるのに対して、
彼氏からのプレゼントでは「相手にどれだけ愛されているかを知ること」が目的である。
彼女は別に「自分がほしいもの」をほしいわけではないのだ。
「私のこと、本当に好きなのかな?」と不安で不安で仕方がない。
そんなことを聞いても、うんとかすんとか流されるだけだ。
だから、このプレゼントという風習を通して知ろうとしているのである。

の場合、彼女と彼氏で情報の非対称性がある。
「彼氏が彼女のことを愛しているかどうか」という情報について、
有利なのは当然彼氏のほうである。*1
情報の非対称性がある場合には、情報を持つ側が、
「信頼してほしい!」というただそれだけのために情報を明らかにすることがある。*2 *3
クリスマスプレゼントという風習はこれにあたるのだ。
彼氏が「お前のこと愛してるぜ(キリッ)」ということを証明するためにプレゼントを選ぶし、
彼女も「私って愛されてるのね(テヘペロ)」ってなることを期待してる。

レゼントを選ぶことへの費用は、金額以上に大きいものとして「時間」がある。
これがお年玉と異なるところで、お年玉にかかる費用(=評価基準)は金額だけだ。
ところが、プレゼントにはそれ自体の金額と、それを選ぶための時間が付随する。
彼氏は愛していない彼女へ対して、わざわざ希少な時間を使おうとは思わないだろう。
この結果、現金をあげたり、到底彼女の趣味とは合致しないようなものを買ってしまったりする。
それを受け取った彼女は「私のために時間は使えないのね…」となり、
「ということは、私なんてどうでもいいんだ…」となってしまい、
たとえ現金10万円をプレゼントしたとしても、どこか寂しさを感じてしまう。
そして、その寂しさは「私のことを愛していない」という情報を手に入れたことに他ならない。
現金は、愛情を示すためのシグナルとしては馴染まない媒体なのである。

れに対して、彼女のことを愛している場合は、彼女のために時間はいくらでも使える。
「あいつの喜ぶ顔みたいな」とか「これあげたら、あいつ喜ぶやろな」とか、
ニヤニヤしながら想像することは、簡単にできる。
こういうプロセスを経たプレゼントは、
愛情を示すシグナルとしての役割をいかんなく発揮するだろう。
「私のために、こんなかわいいネックレスを選んでくれたのね(キュンッ)」
と彼女もきっと感じる。
それがたとえ3000円であったとしても、費やされた時間のほうに重きが置かれるからである。

うした理由で、恋人同士のプレゼントは値段よりも費やした時間のほうが重要だろう。
ここで、僕がいつも行く美容院の方の発言を引用させてもらう。

誕生日に当時の彼女に欲しいものはないかって、一緒にお店に行ったんですよ。
そこで、これが欲しいっていうから一旦出てお金渡したんですけど、
ありえないって怒られちゃったんですよね。
こういうのって、女の子めんどくさいですよね。

その美容院の人は結構面白い人なんだけど、どうやらこの件に関していうと、
女の子のほうが「経済的に合理的」だったようだ。

*1:だって自分のことだもん。

*2:シグナリングという。

*3:信頼される以外には目的を持たないので、社会的には浪費となる。