ソーシャルゲームのモラルハザード

TOKIOのCMでおなじみのGREE
毎日のようにCMを見かけるが、それもそのはず。
2012年の6月期にはなんと700億円の経常利益を見込んでおり、
純利益も300億円と異常なくらい稼いでいる。
原価が安い(おそらくほぼ人件費のみ)というのもあるんだろうけど、
極端なまでの価格差別と熱心なユーザーによるところが大きいだろう。
価格差別とは、端的に言うと、
「しぼりとれるだけ、しぼりとってまえ!」という企業の悪魔的な行動である。

格差別とは、企業のどのような行動のことをいうのだろうか。
差別と聞くと、なにやら怪しげな香りがプンプンと漂ってくるが、れっきとした企業戦略である。
経済学には、支払許容額という概念がある。
名前のとおりであるが、個々人がある財・サービスに対して支払ってもいいと思う金額のことだ。
たとえば、ある靴を売ろうとしている時を考えてみよう。
Aさんは10,000円、Bさんは7,000円、Cさんは4,000円、それぞれ払ってもいいと考えている。
払ってもいいというのは、言い換えるとそれぐらいの価値を持っている、と考えているということで、
その靴が10,000円で売られていて、なおかつ買い手が「この靴は10,000円の価値があるな」
と思った時、買い手は迷わず買うということだ。
勿論、安ければ安いほどいいわけで、安いほど買い手の満足は大きくなっていく。
ここでAさんBさんCさんについて下のグラフに表してみた。

このとき、靴をみんなに平等に、7,000円で売ろうと思った時は、企業の売上げは青い部分になる。
AさんとBさんは靴を買うが、Cさんは靴を買わない。
Aさんは10,000円でもいいと思ってるので、「ラッキー」と思って靴に飛びつくだろう。
結果、企業は二人に7,000円で販売し、14,000円の売り上げを得ることになる。
もしも、企業がAさんにはAさんの支払許容額で、BさんにはBさんの支払許容額で、というように、
各々の払ってもいいと考える限界の値段で売ることができたらどうなるだろうか。

各々の支払許容額で靴を売った場合が上の図だが、売り上げはオレンジの部分を加えたものとなり、
価格差別を行う前よりも明らかに増加していることが分かる。
これは、考えてみると簡単なことで、7,000円のときにもう少し回収できたAさんからの利益と、
そもそも買われなかったCさんへの販売分について、売り上げが増加したからである。
つまり、企業は個々人の嗜好を完全に理解し、個々人に支払許容額に対応した価格を提示することで、
利益を増やすことができるのである。

は、GREEにおいてはどのような価格差別が行われているのだろうか。

  • Aさん → 月50,000円払ってでも楽しみたい
  • Bさん → 月3,000円くらいで
  • Cさん → 1円も払いたくない

という三者がいたとする。
GREEはこの3人に対して、各々に完全に適切な価格を提示することに成功している。
もっと正確に言うと、ユーザーの熱中度に応じてお金を支払うことのできるシステムを確立しているのだ。
Aさんのような人には、好きなだけゲーム内でアイテムを買うことにより、
各々が払ってもいいなと感じる限界まで課金させることができる。
逆に、Bさんのような、そこまでは払いたくないというユーザーがいたら、
そのユーザーは、金額を決めて(この金額は支払許容額そのものである)課金することで、
各々の満足を満たすことができるのである。
そして、GREEの特殊なところが、Cさんのような無料で遊ぼうという層にも対応していることである。
なぜ無料で提供することができるかというと、1人増えても費用がほとんど増えないからだ。
1人ユーザーが増えることへの限界費用は、数MBの容量を必要とするだけで、ほとんど0円に等しい。
仮に1円だとしても、100人の無料で遊ぶ層から1人でも課金してくれればそれで得になる。
だから、Cさんのような人にも無料で提供することができる。

うしてみてみると、各々の満足も高めることができる価格差別は最適のように思えるが、そうでもない。
価格差別には市場の区別が必要不可欠である。
他人よりも安く売ることができるのは、高く売る人に「あいつには安く売った」という情報が渡らない場合のみだ。
「あいつには100円で売っといて、俺には1,000円かよ」ということになると、さすがに不満続出だ。
そして、GREEの場合にもそれと同じことが発生している。
各々の課金額によってゲームの快適性が異なるのである。
GREEの世界ではお金をいくらつぎ込んだかが、ゲーム内での強さに直結している。
これが、課金をあまりしていない層にとってはつまらないことになる。
金をつぎ込んだあいつが強いのはずるい、俺も強くしろ、と低関与のユーザーが感じてしまうのだ。

GREEがターゲットにしているのは、社会的にある程度の基盤を持った主婦や中年のサラリーマンである。
マズローの欲求階層説によると、人間の欲求には次の5段階がある。

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 所属や愛の欲求
  4. 承認の欲求
  5. 自己実現の欲求

主婦や中年サラリーマンは、おそらく3段階目までは達成している。
ところが、社会から切り離された専業主婦や、家に帰っても仕事場でも居場所がないサラリーマンには、
おそらく他者から認められたいという、承認の欲求が存在している。
そこを上手くついたのがGREEで、彼らにゲーム内で「地位」を与えることにより、
ユーザーの膨大な課金を促したのである。

業にとっては、いかに金を稼ぐかということが重要である。
そして、ターゲットを主婦やサラリーマンに設定した時に、彼らにはある欲求があることに気付いた。
「ゲーム内で地位を与えることによって、群がるのではないか」
奇しくも、ゲームマスターは世界を恣意的に構築することができる。
彼らにとって、金を払う=ゲーム内での地位を手に入れるという構造を作るのは容易である。
これが、ターゲットとした層に認知され、無尽蔵にお金をつぎ込ませることに成功した。
しかも無料で遊ぶ層の存在も大きく、彼らがいることにより課金者の存在が際立つというおまけつきだ。
「稼げるだけ、稼いでしまえ」という考えは、どうしても社会道徳にかけると言わざるを得ないが、
市場細分化→戦略設定の流れは見事であり、
ビジネスモデルのお手本であるというのは、資本主義の行き過ぎた結果としてなんとも皮肉だと思った。